往復書簡 #4 よう〈モントリオール→京都〉

満月から始まった手紙が嬉しかった。ありがとう。読み終わるのがもったいなくてゆっくり読んだけれども、予想よりも文字はどんどん続いていてそれもよかった。数ヶ月前、ブラジル人の友人が天体と人間の周期の話をしてくれた。新月の日は気持ちや生活を切り替えるチャンスなんだ、というような話がそのときはストンと落ちて、それからは少しだけ月の周期を気にかけている。まもなくやってくる新月に動かされるようにこれを書きはじめました。

薄く開いたバスの窓からコーヒー豆の香りが侵入してきた。命綱である吊り革一本にすがりつきながら、目の前に座っていた知らない彼と同じタイミングで窓の外に目を向けた。空気に匂いを感じるなんていつぶりだろうか。今日は数週間ぶりに氷点下から解放されたあたたかい日で、日が暮れても4℃はあった。中途半端に歩道に残る雪のシャーベットをつぶして歩きながら、チキンを焼く匂いや、しばらく雪の下に埋もれていた草の湿った匂いや、どこかの家の何らかの香辛料の匂いを嗅ぎ分けた。2,3ヶ月後にやってくる春への高揚がたしかに予感されて、もう少し冬を耐えてみてもいいような気がしてきた。外を歩いていても環境に体が支配されない、その貴重さを噛み締める。今日のことは何かに書き留めておきたいと考える。どこに、誰に向けて?

それで手紙の返事にのせてみることにしました。どうだろうか。本当、手紙の文体ってむずかしいね。日記みたいにもなってしまうけれど、でも確かにあこちゃんに向けて書いているのです。

今日は総合的にみていい日だった。つかみかけていたバイトは結局断ってしまった。開き直って授業終わりのロビーでノートとノートパソコンを開いてみたら、思っていたより素直に文章が書けた。それは私にはとても喜ばしく、何よりも求めていたものだった。

思えば言葉と向き合うためにここにいる。言語は私の創作における関心ごとの中心でもあるのに、実際私の学ぶ姿勢は決して勤勉とは言えないのが、自分でもなぜだかわからない。単語帳なんて中1のときからまともに使えたことがない。ただこの手に触れる範囲で、足で移動できる範囲で、言葉を拾い集めている。でもそろそろ、また単語帳を開いてみるときかも。

言葉は自分だけの地図だと思っている。私たちはそれぞれ縮尺や領域や書き込み具合の異なる地図を持っていて、ただ読むためのルールを共有することができる。今私は新しいルールを覚えて、自分の地図に新しい地図を書き込もうとしている。地図の読み方は人それぞれで、誰かの地図と私の地図を重ねたら新しい読み方ができるかもしれない。そのために私は人と交わりたい。

先日あるクラスメートが「地球は平らだ」と言うのを聞いた。驚いたけれども、私だって「言葉は地図」だとか「間取りを行き来する」とか「バーチャルシェアアトリエ」だとか言っているので、どっちもどっちかと思う。彼がその話をしてくれたのは教室の後ろに貼ってある大きな世界地図の前だったのだけど、それを見ながらどんなことを考えているんだろう。この件をきっかけに、人類が自分の住んでいる大地と空のことをどのように捉えてきたか、その歴史がとても気になっている。少し調べただけでも面白い。私がもう少し詳しければ、彼が信じている宇宙について具体的に質問できたのにな。それで『地図の歴史 世界篇・日本篇』という本を読もうとしています。もし地球に端っこがあるなら行ってみたい。丸くたって、端っこはあるのだけれども。

結局3日ほどかけてここまで書いた。今は家から少し離れたナショナルライブラリーに来ている。この場所はとてもいいと、かなり前から友人に聞いていたのだけど、結局今になって初めて訪問。本当にいろんな人がいる。活気のある豊かな図書館に元気をもらう。

もうすぐ次の年がやって来る。自分の性質と向き合ってうまく付き合っていきたい。学ぶことから逃げない年にしたい。死ぬまでそうありたいけれど、その始まりの1年にしたい。そして頭のなかの粘土を、あるいはパンの生地を、ちゃんと手のひらで触って形をつくり出していきたい。

読み返してみると、ひとつひとつに返事をしたわけじゃないのにあこちゃんからの手紙にちゃんと繋がっているような気がする。長い文章になりましたが今回はこの辺で。境界が必要以上に意識され続けるのは大変なしんどさだと思う。ざわめくあこちゃんの皮膚が鎮まりますように……。

2025.12.20 14:20(モントリオール時間)
ランチを食べ損ねたまま図書館の座り心地のいい椅子と机に張り付いているところ